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12月15日(水) 岡山県中小企業家同友会倉敷支部メンバーマッチング
お互いの会社をもっとよく知りあい、助け合ったり、一緒に仕事をするきっかけにしようということで開催された会です。
私は次なるコラボレーションのお相手を探しに行きました。
鳥人間コンテストでお世話になった山陽鉄工さん、水陸両用車の製作でお世話になったパドックさん、そして、今回のギネスチャレンジカー「MIRAI」でお世話になった山陽レジン工業さんも、同友会がご縁でした。
12月16日(木) エフエムふくやま吹奏楽部出演
12月23日の第20回定期演奏会のPRに行ってくれました。
おかげさまで、チケットは完売したそうです。
みなさん、会場の倉敷市民会館でお会いしまししょう!
12月16日(木) 生徒会打ち上げ
今年の生徒会役員は本当によくやってくれました。
そのご褒美ということで、今日は食べ放題のお店でささやかな夕食会。
みんなテンション高いなあ・・・。
特に副会長のM君。
こんなに喋り捲ってんの、初めて聞いた。
「バンズ、チキン、チキン、チキン、バンズ!」って、なに?
12月18日(土) ビリヤード山陽新聞社杯ジュニア予選@おかやま山陽高校ビリヤード場
ビリヤード場がある学校なんて、全国でもうちぐらいだそうです。
県の協会から4名の役員の方がお越しくださいました。
ビリヤードは紳士のスポーツです。
フェアプレーで行きましょう!
12月19日(土) 高校生モノづくりコンテスト溶接作業部門、おかやま山陽高校機械科、みごと優勝!
素晴らしい!耐圧試験数値は19メガパスカル!(よくわかりませんが、すごい数値だそうです)T君、よく頑張った!
今年、新しい溶接実習場が完成しましたが、そこで一生懸命練習した成果ですよ!作った甲斐があったというものです。
溶接は、資格次第で給料がどんどんよくなる、不景気にも対外競争にも強い、実はとても有利な技術なのです。
ものづくり大国日本の復活は君に任せた!
12月19日(日) 第8回全国高校生ゼロハンカー大会(おかやま山陽高校主幹)
今年は風も穏やかで、絶好のゼロハン日和。
東は京都、三重、西は九州鹿児島まで、全国から17校42台が参加しての大会でした。
参加台数、校数ともに最大です。
2サイクルと4サイクルの2部門に分けて、レースと耐久で勝負。
おかやま山陽高校は、4サイクル部門に3台エントリーしましたが、2台が決勝進出、1台が見事5位入賞。
設営から片づけまで、一生懸命やった上での成績ですから、大したもんです。
来年こそは、優勝だ!
12月19日(日) ビリヤード山陽新聞社杯ジュニア決勝戦@水島スティックアンドストーンズ
決勝戦は、講師の新谷先生が経営されるビリヤード場で。
しかし、大人の試合って、緊張感、迫力が半端ないですね。
来年は、ぜひ、おかやま山陽高校以外の生徒ももっともっと参戦してほしいです。
誰の挑戦でも受けてやるぜ、・・・と生徒が申しております。
12月22日(水) 第2学期終業式
校長講和では、今年の重大ニュースを振り返りました。今年もいろいろありましたが、生徒諸君、本当によく頑張りましたよ。
来年もいい年にしましょう!
今回、何人か、現地の人とお話をする機会がありましたが、みなさん、誠実な人ばかりでした。長年現地でビジネスをしている日本人の友人Nさんも、ベトナムでは対人関係でだまされたり、裏切られたりすることがほとんどないと言ってましたが、たしかに人の好い、警戒心が薄い人が多い気がしました。
ただ、最近、中国がああなったりこうなったりで、日本とベトナムとのかかわりが増えている分、いろいろなことがあるようです。
現地ガイドのDさんは、車中、一通りの案内が済むと、ご自身の話をしてくれました。
「日本人にもいろんなひとがいるんですね」。
Dさんはある日本人と仕事がきっかけで知り合いになり、その人のビジネスがうまくいくように誠意を尽くしたつもりなのに、関係ないところで逆恨みされて、辛い思いをしたらしい。
Dさんの話を総合すると、その日本人は、そもそもベトナムで本気でビジネスをするつもりはなかったようでした。物価の安い異国の地で、金儲けついでに、ちょっといい思いをしてみたかった、それが本音のようでした。
そんな不真面目な人に、真面目に接した真面目な人が、割を食った。
「そういう人ばかりじゃないけど、現実にそういう人もいるんですよ。次からは気を付けて下さいね」としか言いようがありませんでした。
確かにベトナムは物価が安いです。それと、現地の人が自嘲気味に言うのですが、人の命が安い。社会主義国なのに、貧富の差が激しく、賄賂が横行する。穴だらけの隙だらけ。
いろいろ経験してきた日本人からすれば、現地の人には見えにくい、これからの展開についての予想も比較的簡単にできるでしょう。
この立場の違いを、どういう方向に活用するか。
欲に走るならば、付け入る隙もたくさん見えるだろうし、大概のことは金で何とかなる。札束を投入して差益を稼ぎ、大尽生活も夢ではない。
でも、それでは現地の人に、少なくとも尊敬はされない。
ちなみに、最初に出た現地の日本人の友人Nさんは、ベトナムの人たちと一緒に、社会全体の成長に参加しようとしています。
具体的には、日本流の組織作りや、社員教育、品質管理のノウハウを提供することを通じて、現地の会社のレベルアップの手伝いをしておられます。彼らは今後、日本企業を相手に仕事をしたいと思っているわけですから、日本企業の仕事の流儀を知ることのメリットは非常に大きいのです。もちろん、現地に進出する日本企業も喜ぶ。ウィン・ウィン。
Nさんはホーチミンに移住してもう5年ですが、現地では日本人の友人はほとんどできなかったそうです。
いわく、ベトナムにいる日本人のほとんどは「えらいところに飛ばされて来た」と思っており、「いつ、どういう形で日本に帰るか」が興味の中心なので、そういう人とは「なかなか話が合わない」んだそうです。
むしろ話が合うのは、今回紹介してくれた現地のCさん、Tさんのように、いつか日本に追いつこうと頑張っている現地の若手起業家たちだそうです。お互い、片言の英語に、片言のベトナム語を混ぜて、家族ぐるみでお付き合いをされていました。
わたしたち日本人は、正直、こういうのは苦手ですよね。気持ちはあっても、なかなか立場を超えて人と人としての付き合いに踏み出せない。
でも、逆に考えれば、気持ちひとつで、できるんですよねえ。
今回Cさんが、ほとんど初対面に近い私に、あれほどまでの心づくしのもてなしをしてくださったのも、彼の紹介だったからに他ならないでしょう。
少しずつでも見習って、少しずつでも実行に移したいと思いました。