蔵④号訪問


 先日、仕事が終わってから、久しぶりに笠岡の川埜龍三さんのアトリエ「蔵④号」にお邪魔しました。
 学園長先生から託かり物があったのと、ずっと前にお借りしていたFRP用のガラス繊維をお返しするためです(このガラス繊維は、ヘルクレス自動車の材料としてお借りしました)。
 蔵の中はいつも、道具や素材、過去の作品で雑然とあふれていながら、なぜか空気は澄みきっているように感じます。
 今回、龍三さんは新しい作品を制作中でした。
 一言で言えば、「聖母像」でしょうか。龍三さんはそういうつもりで作ったわけではない、とおっしゃっていましたが、たぶん、見る人の多くがそう感じるだろうと思いました。
 高さ2・5mほどの立体作品で、そこここに本校にある巨大彫像壁画「感覚サレルベキモノ」に見られるのと共通のモチーフがちりばめられていました。
 それらは「感覚サレルベキモノ」と比較して、より鮮やかな配色・配置で使われていました。聞くと、最近、メキシコについての本を読まれることが多かったとか。
 「いま60%くらいまでできたところです」とおっしゃってました。
 完成後、この作品は龍三さんの第二のふるさとである高知での個展で公開されるそうです。
 芸術と言うものは、奥の深いものだと、改めて思いました。
 作品は、それを制作した芸術家のその瞬間、瞬間の内面を強く反映したもの以外ではありえない。今回製作中の作品も、龍三さんのごくごく個人的な経験がモチーフになっているようです。
 おそらく、作者が制作した瞬間の本当の思いは、見る者は究極的には永遠に理解することはできないのでしょう。
 作者と鑑賞者との間には、絶対的な断絶という前提がある。
 それでいて、芸術作品は、多くの人の心の内面に訴えかけ、心の中の泉の水面に、時に心地よい、時に不安な、ざわめきを立たせます。
 知りたくても知り尽くせないもどかしさも、芸術鑑賞の醍醐味のひとつなのかもしれません。
 今年のオリエンテーションで、新入学生の諸君に次のようなお願いをしました。
 「おかやま山陽高校の彫像壁画『感覚サレルベキモノ』を見てください。一度見ただけで何かを感じるひともいるでしょう。でも、一方で、一度見ただけでは、あるいは、何度見ても、なにが表現されているか、まったくわからないという人もいるでしょう。
 それはあたりまえのことです。芸術とは、そういうものです。すべての作品がすべての人に受け入れられるわけではないし、ましてや、他人がいいと思う作品が、自分にとってかならずしもいいと感じられるわけではありません。
 でも、いつかきっと、もしかすると10年、20年の後、何かを感じることがあると思います。
 なぜなら、あの作品は、おかやま山陽高校の生徒諸君へのメッセージを込めて、制作されたものだからです。」
 なお、あの作品には、いろいろな楽しみ方が出来るように、随所にいたずらが仕掛けてあります。まずはそれを探してみるのも面白いかもしれません。
 見に来られる方は、双眼鏡を持参されるといいかも。


川埜龍三さん公式HP
http://www.ryuzo3.net/index.html