軟式野球部も県大会出場確定! 
昨日、軟式野球部の地区大会の決勝戦が行われ、おかやま山陽高校軟式野球部は、T高校を6対1で下し、県大会出場を決めました。おめでとうございました!



サイバーパンク

 以前、ITに関連して、「ユビキタス」という言葉がクローズアップされました。
 「ユビキタス」とは、「(神のごとく)あらゆるところに在る」という意味で使われている英語です。これをITに当てはめると、「ユビキタス・コンピューティング」という言葉が出来ます。これは、「人間の生活環境の中にコンピュータチップとネットワークが、区別が出来ないほど自然に組み込まれた」状況を指します。最近では、情報端末の進化・普及により、「どこからでもコンピュータを利用できる」という意味で使われているようです。
 当時、同時にクローズアップされた言葉として、「ウエアラブル・コンピュータ」がありました。これは、”Wearable”=『身に付けることができる』(ほど小型化された)コンピュータのことです。代表的なものは、すでに商品化されているようですが、3Dメガネのようなゴーグル型のスクリーンを使用し、本体はベルトで腰にぶら下げ、手の中の小さなマウスによって操作するタイプのものです。
 「ユビキタス」な情報環境と「ウエアラブル・コンピュータ」が実現されれば、人間は24時間、いつどこにいてもネットワークと接続していることが可能となります。これは、様々なソフトウエアやデータベースが、いつでも利用できることを意味します。そして、これはまもなく実現されることがほぼ確実となってきました。
 問題は、その先です。いったい、ユビキタス社会はどこまで進展するのでしょうか。
ところで、「サイバーパンク」という言葉があります。これはSFの一ジャンルを表す言葉ですが、簡単に言えば、人間(肉体・意識)と機械(ネットワークも含む)がお互いの境界線を越えて交じり合うようになった社会や状態を題材に描かれた小説や映画がこれにあたります。
もっと具体的には、人体には様々な機能を補助するための機械や人工臓器が埋め込まれ(サイバーウェア、インプラントなどと呼ぶ)、その結果、人間は意識をインターネットなどのネットワークに直接接続できるようになっています。
 初期の代表的なサイバーパンク作品としては、W.ギブスンの小説「ニューロマンサー」や、同じ作家の原作による映画「JM」(ビートたけしが出演していたやつです)などがあります。
 これらの小説や映画の中では、人間の身体にジャック(端子)が埋め込まれており、それが神経とつながっています。そして、ここにケーブルを差し込めば、ネットワークの仮想空間に入り込むことができるのです。パソコンはまぎれもなく『体の一部』になっています。
 ですから、先日地上波で放映されていた「マトリックス」シリーズなどは、このサイバーパンクが行き着くところまで行き着いたストーリーと言えます。なんせ、人間の意識が、肉体と無関係の完全な仮想の世界に生きている、という設定なのですから。(ところで、マトリックス、映画として面白いのは間違いないのですが、ストーリーがなんとなく良くわかりませんよね。みなさん、たとえば、反逆者の都・ザイオンが、最初からアーキテクト〈設計者〉が設計したマトリックスの機能の一部だったとか、オラクル〈預言者〉の言う、『ソースにたどり着いたら戦いが終わる』という言葉は、救世主をソースに導くための嘘だったとか、ご存知でしたか?私もある解説サイトを読んで初めて知ったのですが、これで目のうろこが取れました。マトリックスって、これまでのサイバーパンク小説を凌駕する、実に哲学的なストーリを持っていたんですね。)
 さて、ここで話が戻ります。このようなサイバーパンク的な社会ですが、先ほどのユビキタス社会の延長線上に見えるような気がしませんか?
たとえば…。現在、私たちはノートパソコンやPDA(ザ○ルスなど)によってネットブラウジングやスケジュール管理を行っています。私たちはパソコンやPDAを持ち歩き、やスケジュールの表示された『画面を見』ます。しかし、技術が進み、これらの端末を直接、私たちの神経系に接続することが可能になれば、ウエブサイトやスケジュール管理画面はそのまま『意識される』(未経験のことなので、どんな感じなのかわかりませんが)ようになるかもしれません。
 さらに、もっと技術が進めば、体の中にパソコン機能自体を体内にインプラント(移植)してしまうことも可能になるかもしれません。そうなれば、私たちは、紛れもない『サイボーグ』になります。
 私は、実は、このような社会が到来することを熱望しています。理由は、私の最大の弱点である、朝寝坊と物忘れです。
 自分の頭の中(かお腹の中かわかりませんが)にパソコンがインプラントされていれば、朝寝坊はまずなくなるでしょう。頭の中に目覚し時計が入っているようなものですから。次に、物忘れもなくなるでしょう。仕事の予定もそうですし、なにより、人と会った時に「この人、誰だっけ?」ということもなくなるでしょう。
 以前、授業中の雑談として、このような話をした上で、生徒たちに、「パソコンを身体に埋め込めるようになったら、手術を受けたいかどうか」と尋ねてみたことがあります。反応は、肯定派、否定派がほぼ半々でした。否定派の多くの根拠は、「なんか気持ち悪いから」というものでした。この「気持ち悪い」という、純粋に肉体的な感覚、サイバーな時代には意外と大切なのかもしれません。
 実際、そういうことが可能な時代が来たとしても、慎重にならざるを得ないでしょう。コンピュータウイルスが頭の中に入ってきでもしたらそれこそ洒落になりませんし、OSの不具合により突然体内パソコンがフリーズしてしまうこともあるかもしません(そのためにも『Ctrl+Alt+Delete』のキーだけは体の外に備え付けておく必要があるかも)。
 まあ、何事にもほどほどが肝要、というありきたりな結論にたどり着くお話でした。