サマーブリーズ
 おかやま山陽高校に新しい風が吹き始めました。その名はサマーブリーズ。夏のそよ風という意味です。
 サマーブリーズは、おかやま山陽高校吹奏楽部の中に誕生した、13人編成の小さなバンドです。構成は金・木管楽器とベース。時にピアノも入ります。
 おかやま山陽高校サウンドをもっと身近に皆さんに聞いていただこうと、今年のコンクールメンバー以外が結集しました。
 8月6日、サマーブリーズの結成記念コンサートが行われました。といっても、大々的な告知はせず、校内関係者だけが集まってのささやかなコンサートでした。
 演奏曲は日本の童謡から海外のポップス、ジャズ、クラッシックなど、誰にもなじみのあるものばかり。演奏途中でメンバーが交代でMCを担当し、その微妙な間に、一同、苦笑、失笑、爆笑。
 コンサート最後はアンコールの連続で、予定の演奏曲数を大幅に越えてしまいました。応援していた吹奏楽部の他のメンバーも、スタンディングオベーションで、彼らのパフォーマンスを賞賛し、その第一歩を祝福しました。
 今後、このサマーブリーズは、学校を飛び出して、皆さんの町にお邪魔することになるかもしれません。その際にはこのブログで告知をしますので、ぜひとも聴きに来てくださいね。


各種大会結果
この夏も、インターハイを初めとする各種の競技大会が全国を舞台に行われています。全部は網羅できませんが、いくつかをピックアップして、その結果をご報告します。
まず、陸上部、M君、3位。上位二人はやはりというか、ケニア人でした。空手道部、S君が準優勝。まさに、惜敗。ものづくりコンテスト自動車整備部門、N君が準優勝。中国地方のレベルの高さを実証してくれました。ゲートボール、残念ながら、今年は予選全敗。来年の決勝進出に決意を固めました。吹奏楽部、県大会突破。28日の中国大会に期待が高まります。…などなど。まだまだ、いろんな部活動がいろんな場所で戦っています。
競技の結果(順位)は、客観的なものです。素直に喜び、あるいは、悔しがることが必要でしょう。でも、参加した生徒一人一人にとっての「結果」、あるいは「成果」は、決して順位で測れるものではありません。競技後、それぞれの胸の中に何が残ったか。
人には言えない苦しみもあるでしょう。でも、試合を通じて自分と向かい合い、自分と戦っている選手諸君が眩しく、そして、心底うらやましいです。


ケニア ジタバタ紀行 「めしくわせろ」編
その3 かなたの国の職員室(中トロ Ver.2.0)
教職員交流
我々も食事を、ということで、職員室に招きいれられた。
最初に生徒たちが食べていたものとよく似た料理が運ばれ、取り分けられた。生徒の食事と違って、煮物のような副食が添えられている。しかし、これはなぜか我々には与えられなかった。何か意味があるのか、とにかく間合いが良くわからない。教員たちは先に食事を始め、ギトンガ校長と我々は食事をしないまま会話に加わった。
最初はお互いにぎこちなかったが、N氏が持参の割り箸の使い方をレクチャーしたあたりから一気に打ち解け始めた。同じく同行のK氏とのコンビで、ワアワア盛り上がっている。
最初にイリ校の教員団から出た質問は、日本の警官も市民に袖の下を要求するのか、というものであった。「日本ではまずありえない」と答えると、全員が笑いだした。「んなわきゃあない」という感じ。ケニアでは警察官は単純に「悪者」と認識されているようで、彼らからすれば汚職をしない警察官がいることなど信じられないらしいのである。
次に、別の教員からイリ校の教員とおかやま山陽高校の教員を交換留学させることができるかどうか尋ねられた。
ケニアでは、現在、教育の近代化、とくに理数科教育の近代化が最重点課題に挙げられている。ケニア南アフリカと並んで、アフリカでもっとも近代化が進んでいる。しかしながら、本当の意味での先進国にはまだまだ程遠い状態である。先進国の仲間入りするには経済が安定化しなければならないが、そのためには長期的視点での産業振興が必須となる。
ケニアでは、農業ではコーヒー、紅茶、綿花、とうもろこし、除虫菊など、工業では食品加工、ビール、タバコ、セメント、石油製品、砂糖などの産業が盛んである。しかし、いずれも生産性が高いとは言えず、さらなる産業の開発が求められている。
ケニアは1963年に英国から独立したが、1964年にKANU(ケニア・アフリカ人民族同盟)を率いるジョモ・ケニヤッタが大統領に就任、共和制が始まった。1978年、初代のケニヤッタ大統領の死去により、副大統領モイが第2代大統領に就任、そのまま大統領の座に収まった。以来24年間、KANUの一党独裁政治が続いた。独立以後、ケニアは高い経済成長を達成していたが、1980年代から1990年代に経済活動が落ち込んだ。長引く独裁による政治腐敗の弊害もあり、一般庶民の生活経済レベルは一貫して低いままであった。
2002年12月の総選挙において、現大統領のキバキ氏が平和的勝利を収め、1963年の独立以来、初めてKANUからの政権交代は実現した。キバキ政権はケニア独立以来、初めて民主化路線を打ち出し、現在、その実現に向けてさまざまな政治的・行政的努力が行われている。
その一つが公教育の強化による人的資本の育成である。その一例として、具体的には、理数系の教員で有望な者を約1年間、アメリカ、日本などの先進国に派遣して、現場での実施経験を通じてティーチングスキルの強化を図り、帰国させるという事業を行っている。日本ではJICAが窓口になって、すでにプロジェクトが進行している。
しかしながら、これには制限枠があり、すべての教員が派遣対象になるわけではない。とくにイリ校のような地方の無名校ではそのチャンスは少ない。
イリ校の教員の希望は、イリ校とおかやま山陽高校の二校間で同じようなことができないか、ということであった。
その際の最大の問題は、言葉の壁である。国のプロジェクトでは渡航後1ヵ月半で現地語特訓を行い、その後に現場に入る。イリ校が派遣したがっているのは理数系の教員なので、英語の授業にAETで入ってもらうわけにはいかない。また、イリ校が受け入れたがっているのも理数系教員であるため(先進国で行われているレベルの授業をイリ校の生徒に受けさせることを期待しているようだ)、やはり言葉が問題になる。
結論としては難しい要因が多く、一朝一夕には無理ではないかということになったが、今後、継続して可能性を探っていこうという話で落ち着いた。
ここで再び、ギトンガ校長が「理数系教育を推進したいが、実験設備が足りなくて...」と、再び暗に支援を求める。例によってあえて聞き流すことにする。
職員室にある教科書類を手にとってめくってみる。地理の教科書では、日本が約半ページ扱われている。そこに記される日本地図は、本州、四国、九州、北海道の四島が大まかに書かれているだけ。伊能忠敬の地図に遠く及ばない。いずれ地図帳を贈りたいと思った。
 支援するなら、現金化しにくいもの、というのが一つの鉄則である。現金化されやすいものは、途中で誰かがその一部を抜いてしまう可能性がある。地図帳が現金化されないかといわれれば、不安ではある。しかし、ケニアの人々はいろいろな意味で日本には強い興味を持っているようである。日本についての正しい情報を得ることができるようにする必要は十分ある。
 後日談になるが、本校のケニア人留学生の二回目の里帰りの際、彼らに地図帳を持っていってもらった。重い荷物で申し訳ないと思ったが、少なくとも、郵送するより確実である。