全校登校日
 本日、8月5日はおかやま山陽高校の全校登校日でした。久しぶりに生徒たちの顔を見ました、と言いたいところですが、実際には、おかやま山陽高校では、夏休み中といっても、半分程度の生徒は部活動やら補習やらで、ほぼ毎日、学校に出てきています。今日、久しぶりに顔をあわせたのは、それ以外の生徒たちということになります。
 全体集会の後、各ホームルームに別れ、担任の先生に夏休み中の様子を報告したり、今後の日程について指示を受けたり、の一日(実際には昼前には終了)でした。
 気になるのは、本日欠席している生徒たちです。みんな、元気にしているのでしょうか?中には、担任の先生が家庭に連絡すると、「8月10日と間違えてました」という生徒もいたようです(実際、今年の全校登校日は本来は8月10日のはずだったのですが、諸般の都合で5日に変更された経緯があります)。
 長い夏休みもここで折り返し地点です。特に今年は、国体イヤーですので、2学期の始業式が通常より5日ほど早くなっています。
 今年の2学期の始業式は、8月26日(金曜日)です。間違えないようにしてください。

求人一覧表(第二集)配布
 本日、進路指導課より平成17年度の求人一覧表(第二集)が配布されました。
 今年はいわゆる2007年問題の影響からか、ありがたいことに、求人の出足は好調です。昨年度同時期比で35%増のペースです。企業の人事担当者の皆様、ありがとうございます。
 しかし、おかやま山陽高校では、同時に、今年は就職希望者の数が昨年度より大幅に増えています。決して楽観できる状況ではありません。
 2007年度問題にしても、企業としては、確かに新卒採用を大幅に増やすのは事実ですが、そこで求めているのは団塊の世代の先輩方の技術力を受け継いでいけるだけの能力をもった有用な人材です。誰でもいいというわけではありません。
 おそらく、今年の就職戦線は、例年以上に厳しいものになるのでは、と思っています。求人数は増えるでしょうが、要求されるレベルもそれ以上に高まるのではないでしょうか。
 3年生諸君、もう一度兜の紐を締めなおして、本気で臨んでください。採用試験解禁まで、あと1ヶ月少々です。今のうちにできることを、可能な限りやっておいてください。



ケニア ジタバタ紀行 「なんかいいなあ」編
その4 かなたの国の職員室(中トロ)

サッカーボール
次に、職員室に案内されて、教職員に紹介された。スタッフは事務長1名、教員10名。校長を入れても総勢12名である。職員室は照明が点されておらず、目が慣れるまでは室内が良く見えなかった。この時点ではイリ校の教員団も緊張しているようで、挨拶を交わした程度であった。
同行のN氏が、イリ校の生徒へのお土産として、二個のサッカーボールを持ってきていた。サッカー部があるというので、贈呈式をしたいと申し出ると、サッカー部員がユニフォーム姿で全員集合してくれた。
「この中で一番うまいのは誰?」と聞くと、一人の生徒が仲間に押し出された。「リフトは何回できる?」と高校時代はサッカー部員だったN氏が問うと、「60回」と答える。「じゃあ、リフト対決をしよう」とN氏が先にリフトを始める。部員たちが見守る中、N氏は60回のリフトを成功させた。
「次は君の番だ」と先ほどの生徒にサッカーボールを渡す。一生懸命やっているが、緊張からか体全体の動きがあまりよくなく、40回程度で落下させてしまった。
それでも「よくやった」と握手をし、二個のサッカーボールはサッカー部員に手渡された。
ギトンガ校長によると、イリ校では予算不足から日々の備品にも事欠いている(本当に増やしてほしいのは人件費だと言われていたが)と言うことで、バレーボールのネットなども、使用しないときは職員室内の棚に丁寧に保管されている。そのようなわけで、二個のサッカーボールは大変歓迎された。

校内風景
その後、ギトンガ校長が校内を案内してくれた。校地には教室棟が約10棟のほかに、家が遠い生徒のための寮が数棟あった。また、保護者会を開くためのスペースとして、ベンチが数十基、屋外に設置されていた。季節にもよるが、雨が少ないためそれで十分と言うことだった。
この集会場では、週に3回ほど、礼拝が行われるという。2回は生徒と教員のみ、あと1回は保護者も参加するのだという。「宗教は何?」と聞くと、ギトンガ校長は『当たり前だろ』と言う顔で「キリスト教」と答える。そうだった。ケニア大英帝国の植民地の歴史が古いため、キリスト教が浸透しているのだった(ただし、宗派の構成などは日本とはかなり異なっている)。とにかく、一瞬、土着の宗教儀式らしきイメージを頭に思い浮かべてしまった自分が恥ずかしい。
いくつかの教室にも入らせてもらった。生徒たちは本日は特別行事(我々の訪問)ということで、授業は自習になっていたが、おとなしく教室内で待機していた。教室内には照明はなく、人数分の机といすに教卓と黒板が設えてあった。窓は戸板を跳ね上げる方式で、もちろん、ガラスはない。生徒たちは制服に身を包み、われわれの突然の訪問を複雑な表情で迎えてくれた。ここで簡単な挨拶を交わした。
次に、調理室に案内された。調理室といっても、同じく木造平屋のトタン屋根で、窓が大きくとられ(もちろん、ガラスはない)、食事を受け渡しする窓口のようにしてあるだけである。中に入ると、まず、懐かしい蒜山キャンプのにおいがした。中は土間(というより地面のまま)になっており、3名の女性が2,3箇所で薪を燃やし、その上に短い脚のついた巨大な鉄鍋が置かれていた。鍋の中では豆を中心にイモ類と穀類を加えた料理が煮立っていた。出来上がりのものを少し食べさせてもらったが、塩気はほとんどなかった。栄養価は充分あると思われた。
次に、別の調理室を除くと、いかにも給食のおばさんと言った感じの女性がニコニコしながらやはり焚き火の上の鉄鍋の中で、ヤギの肉を炒り煮していた。これは我々が提供したヤギである。もう一つの鍋では芋のようなものが煮られており、少し食べさせてもらったが、やはり味はほとんどついていなかった。
そうしているうちに午前中の授業時間が終了したらしく、生徒たちが教室から出てきた。みんな手にプラスチックの器(直径20cmくらい)と、スプーンを持っている。生徒たちは調理室の前におかれたバケツの水で器とスプーンを簡単に洗い、窓口で先ほどの豆とイモと穀類を煮た料理をよそってもらう。まさにワンディッシュメニュー。そして、それを手に思い思いに屋外で座り込んで食べる。雨の日は教室に持ち帰るそうだ。
生徒たちは我々闖入者を複雑な表情で遠巻きに眺めながら食べている。2人の女子生徒が食べていたところにお邪魔して、「Jambo!」と話し掛けた。はにかみながら困ったような顔で、それでも「Jambo」と答えてくれる。「おいしい?少し食べさせてくれない?」と手を出すと、スプーンで手のひらにのせてくれる。料理は出来立てのアツアツだった。「くぁwせdrftgyふじこlp;@」と思わず叫び声をあげると、周りで見ていた生徒たちが大笑いをした。こっちを指さしながらいつまでも笑っていた。
とりあえず、ウケが取れたので、よしとしよう。彼らが生れて初めて見る、そして、もう二度と会うことはないかもしれない『日本人』のイメージとしては、まあ、悪くはないだろう。ただし、本当は、日本人はもっと怖いかもしれないよ…。
この女生徒たちの髪形は、日本で言う丸坊主であった。アフリカの人々は、種族によっては髪の毛が一定以上伸びないときいたことがある。
イリ校の生徒は基本的には全員キクユ族と聞いている。キクユ族はケニアの民族構成中、最大勢力であり、政治家や官僚も多く輩出している。だから、本来はケニア社会では優位な立場にあるといっていいはずだ。ただ、地域間での貧富の格差はどうしようもない。ニャフルル地区は山がちで、農産物も決して豊富とは言えず、貧しい部類に入る。多くの保護者は農家を営んでおり、家業の手伝いのために学校に行かせてもらえない子供もまだまだいるという。