英語スピーチコンテスト
 先日、県内の某大学主催の英語スピーチコンテストが開催され、本校からも英会話同好会のメンバーが参加しました。
 一つは、いわゆるスピーチ。原稿を暗記し、時間内でしゃべります。その際、スピード、抑揚(アクセント)、ジェスチャーなども審査の対象となるそうで、要は、いかに自分の言いたいことを聴衆に効果的に伝えるか、その総合力が問われるのだそうです。
 結果は、入賞には至りませんでしたが、なかなかの出来栄えでした。VTRに収録したものを見せてもらいましたが、こうやって録画してみると、自分の弱点や改善を要する点が客観的に見え、次のチャンスに有効に活用することができます。
 もう一つのコンテストは、パワーポイントを使って観光案内をするというもの。おかやま山陽高校が選んだのは、姉妹校のあるケニア。留学生のM君にも登場してもらい、写真資料がいっぱいの、楽しい観光案内になりました。
 VTRの途中でM君が岡山弁で「ケニアもええとこじゃけ、来て見られえ」と誘いかけると、会場からは笑い声が起こっていました。
 このコンテストでは、あと一歩で入賞のところまで来ていたそうです。残念!でも、よくやった!


ケニア ジタバタ紀行 「こんにゃろめ」編
その3 かなたの国の職員室(イントロ)

ニャフルル訪問
 ニャフルルには今回の旅の主目的であるイリギターティ中等学校(以下、「イリ校」)がある。イリ校は、現在おかやま山陽高校に在籍する2名のケニア人留学生の出身校で、本校の姉妹校でもある。
ニャフルルは現地語で「水の落ちるところ」を意味し、落差100mほどの滝が観光名所となっている。鉄道の駅があり、市内は都市化している。イリギターティ中等学校はニャフルル中心部から18kmほどの場所にある。
 朝9時にギトンガ校長とホテルロビーで待ち合わせし、車でニャフルルに向かう。ニャフルルまでの距離は約200km。岡山から大阪までの距離に匹敵する。
 街道を走っていると、車道の両脇の歩道(未分離、未舗装)を多くの人が歩いている。運転手に聞くと、通勤中途のこと。
 ナイロビ近郊では、トラック輸送による大気汚染に、路線バスがさらに拍車をかけている。そのため、政府は緊急策として、当面、バスの台数をピーク時の3分の1に制限した。
 この結果、人々は歩くしかなくなった。自転車は平均給与の1か月分。まだまだ庶民には高嶺の花である。さらに、ケニアでは、二輪車は不安定で怖いと考えている人が多いという。
 車が平均80km/時程度のスピードで飛ばしているすぐ脇を、人々が、子供も含めて歩いている。信号は街中以外にはほとんどない。子供も、大人も、車の切れ目を狙ってダッシュで国道を横断する。子供が犠牲になる事故が多いと聞いたが、そのはずである。
 ニャフルル市内を通過する際、その賑わいに驚いた。3階、4階建てのレンガやコンクリートの建物が密集しており、町中が人であふれていた。個人商店や住宅はその多くがバラックに近いつくりであったが、道行く人々の服装はスーツ姿など近代的であり、そのギャップが印象的であった。
 イリギターティまであと20kmのところに、ニャフルルの滝があり、観光地になっていた。
 ギトンガ校長の勧めで車を止め、滝を臨む展望台へ向かう。そこでは呪術者風の民族衣装をまとった男性がおり、記念写真をとる代わりに金銭を要求していた。
 その脇に待機していた女性に引っ張られ、土産物屋に入った。値段交渉の末に何がしかの品物を購入すると、『うちには商品を包む紙がないから、隣に店に行ってくれ』と言われる。隣の店に行くと新聞紙のみで包装をしてくれる。もちろん、ここでもさらに熱烈な売込みをかけられる。そして、案の定、「いま、手提げ袋がきれているからもう一軒となりの店へ…」。
 頭に来て、「袋は車の中にあるので、いらない」、と店を強引に出ると、後ろから猛烈な罵声を浴びせられた。先ほどと同じ女性から発せられた言葉とは思えない。
 こういう場合、ルポルタージュでは「貧しい中でもしたたかに生きるケニアの庶民の力強さを見た気がする」などときれいに纏めるのだろうが、それも癪だ。でも、まあ、面白かったから良しとすることにする。

ケニア中等教育について(イリギターティ中等学校)
 イリギターティ中等学校と本校とは、昨年度、留学生の受け入れを機に姉妹校契約を締結した。
 ケニアの公教育制度は小学校(プライマリースクール)8年間、中等学校(ミドルスクールまたはセカンダリースクール)4年間である。一部に「シニアハイスクール」の名を掲げる学校を見かけたが、複数の制度が並立しているのかもしれない。
 イリ校に在籍しているのは14歳から18歳までの学齢生徒約350名。生徒数が多いのは、学区が非常に広いため。M氏の話によると、イリ校はどちらかと言えば底辺校に属する学校である。これは偏差値や生徒の素行による教育困難校という意味ではなく、経済的に貧困な地区(農家が多い)に所在しているためであると言う。このヒエラルキーは日本にはないものである。
 アスファルト舗装された街道からイリ校まで、約5kmのダートを車で走破する。このために本日はトヨタ製のランドクルーザーを使用している。ダート沿いは延々ブッシュが続く。
 途中でギトンガ校長が車を止め、ブッシュに入っていった。運転手のガティキ氏に聞くと、ニヤッと笑って「Piss!(おしっこ)」。帰りには自分たちも同じところでマーキングしようと密かに決意する。
 15分ほど走った後に、イリ校の門が見える。門は野生動物の侵入を防ぐためか(時々ゾウが出るという)、きちんと施錠されていた。
 校内に入ると、木造平屋建ての校舎群が見える。校地は広いが、建物はトタン屋根のバラックに近いものである。街道沿いに見た私立の学校はレンガ造りで屋根もカラースレート、建物としてのエクステリア・デザインがなされていたが、それらとの差を大きく感じた。
 最初に校長室に案内された。校長室は、教室と同じく木造、トタンの波板屋根で、隣の事務室、職員室と棟続きである。約15畳の広さに応接セットとデスクが置かれていた。後で入った職員室には蛍光灯がつるされているものの、日中は点灯されていなかったが、校長室だけは蛍光灯が点されていた。
 校長室で来訪者リストにサインをして、しばらくギトンガ校長と話をした。最初に出た話題が、棚の上におかれたパソコン(DELL社製)の空き箱を指して、現在、生徒の実習用のパソコンの台数が足りないと言う内容だった。暗に支援を要求しているようだ。彼らケニア人にとって、先進国からの訪問者は何らかの金品を要求する相手なのである。
 この点については、事前にM氏からアドバイスを受けていた。それによると、ケニアは現在やっと離陸期にさしかかったばかりの発展途上国であり、そのような国にとって、先進国からの物資、資金のいずれもが、のどから手が出るほどほしいものばかりである。これはかつての日本も例外ではなく、実際に日本の離陸期には諸外国から多くの支援をうけた事実がある。いうなれば、これは、現実の文明・経済の格差を前提として、世界中の発展途上国の人々がかならず通る段階である。よって、そのような態度を見たとき、それを決して卑しいとか、都合がいいとか思わないでほしい、我々日本人もかつてはそうだったのだから、と。
 さらに、そのような場合、相手がいうままに金品を供与することは、決してしないでほしい。それは援助ではなく、単なる「施し」であり、後に残るのは与えた側の優越感と、受け取った側の卑屈な喜びでしかない。そして、これは発展のための援助とは正反対のベクトルを持つものである、等等。
 以上のようなアドバイスは、現実の援助がいかに難しいものかを表している。話としては理解していたが、実際にあからさまにそのような態度を取られると、やはり少なからず困惑してしまう。結局、この時は「そうですか、大変ですね」などと話題をかわした。ギトンガ校長もこちらの姿勢を察したのか、それ以上なにも言ってこなかった。
 なお、このM氏は、JICAの専門家としてケニアに派遣されており、教育関係のODAに関する予算の采配などにもかかわっている人物である。彼女は、アフリカのいくつかの国で勤務経験があるが、それだけに現地での日本人の振舞い方の難しさは身にしみているのだろう。その言葉にはいちいち、強い説得力があった。